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潟のある暮らし

今よりずっと大きかった鳥屋野潟の周りでは昔から稲作と漁業を生業とした人々が生活していました。

生まれも育ちも上沼の若林さんと、鳥屋野潟をずっと記録してきた石澤さんに、幼いころの思い出を聞きました。
当時の農作業は腰まで泥水に浸かりながらの稲作に舟での移動と、大変な思いをしながら行っていました。そんな時代に幼少期を過ごしたお二人のお話は、苦労の連続だったろうと気を引き締めて伺いましたが、意外にもそれは豊かで明るいものでした。

暮らし_ヒシ採り60年_名前入り

 

鳥屋野潟と生きる

鳥屋野潟の土は“ベト(埃土)”と呼ばれ、栄養満点なので田んぼに使われていました。漁業も盛んに行われており、50cmを超すコイやフナがたくさん採れました。鳥屋野潟は大切な仕事場ですので集落ごとに場所がしっかり割振られ、潟の中には基準となる杭が打たれていました。ヒシやカヤも豊富に採れました。冬になると水鳥たちを撃つ銃声が鳴り響きます。どれも市場で人気の商品でした。潟で採れる全ての命が、人々の生活の糧となっていたのです。
また石油や天然ガスも採れ、石澤さんが20歳の頃に掘ったガス井戸は現在もガスが出るそうです。潟端の水は透き通っていて、清五郎では水道が出来る昭和31年まで潟の水を飲料水にも使っていたそうです。

暮らし_排水機場で流れるプール_名前入り

「夏はプール、冬はスケート。一日中、潟で遊んでいたよ」

昔は鳥屋野潟のそばに“小潟”と呼ばれる小さな潟があって、小潟と鳥屋野潟を結ぶ排水機が作る水流は巨大な流れるプール!子どもたちの大人気スポットでした。お腹が空いたらヒシやハスの実が食べ放題。寒さ厳しい冬でしたが、家でじっとしているなんてもったいない。そり遊びはもちろん、氷の張った潟は広々とした天然のスケートリンクでもあります。自前の板を使ってみんなで遊びました。若林さんはご飯と寝る時以外はほとんど潟で遊んでいたそうです。鳥屋野潟は毎日遊んでも飽きない、最高のレジャースポットでした。

暮らし_舟に乗り合わせて_名前入り

移動は船、通学路は堀

冬になると水が増して、田んぼも道も水の中に沈みます。こんな冬には集落中にめぐらされたお堀を伝って移動します。若林さんたち上沼に住む子どもは、キッツオ船で1時間かけて曽野木小学校まで登校していました。「子どもだけで乗り合わせて、上級生が漕いでくれるんだ。小学校に着いたころには靴がびしょびしょでね、先生が上沼の子のために早めストーブを焚いて乾かしてくれたんだよ。」
暮らし_食する会にて鯉さばく

鳥屋野潟の恵みを楽しもう

地域住民や企業の方々の努力によりキレイになった鳥屋野潟では、潟の恵みに親しむ催しが開かれています。農家にとって必須だった潟舟に乗って、鳥屋野潟の夏を涼む「渡し舟体験」が不定期で開催されています。また、毎年2月の第1日曜日には「鳥屋野潟の恵みを考え食する会」が開催されています。漁業組合が16年前から始めたもので、年々参加者が増えています。ふわっと淡白に揚がったライギョのフライ、新鮮なコイのお刺身、毎年“こいこく”というコイの汁物が振る舞われます。昔はウナギも獲れたそうで、石澤さんは小学生の頃お弁当に鰻のかば焼きが入っていたことがあり「友達から羨ましがられたよ」と語ってくださいました。

 

 

作成
・新潟大学 長岡春菜

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