コロナ後にむけて、鳥屋野潟の価値を再考してみる
-都市における地産地消の、“いま”と“これから”を見据えて-新型コロナが世界に拡がり、コロナ後の時代を見据えて、様々な視点から今までの都市の在り方が見直され、食の観点からも議論が起きています。
○もろさが浮き彫りになった、都市の食料供給
言うまでもなく、日本の大都市圏では、世界的規模の巨大な物流網が食料供給を支えてきました。しかし、今回のコロナ禍により、今までの食料供給の仕組みの脆弱性が浮き彫りになったのは、周知の通りです。一方、今までも、そしてこれからも、人々は都市の魅力に惹きつけられ、都市と共に生きたいと願うのでは無いでしょうか。
来たるべきコロナ後の時代、人々が都市の恩恵を受けながら住まうために何ができるのか。都市の食に着目し、世界の動きや、私たちが暮らす新潟市の鳥屋野潟などに目を向けながら、考えてみたいと思います。
○都市を耕す人びとの出現
さて、コロナが流行する数年前、2016年にとある映画が公開され、話題になりました。「都市を耕す エディブル・シティ」と言うドキュメンタリー作品です。アメリカの都市を舞台に、都会の真ん中で野菜を作る人たちにスポットが当てられています。
経済格差の広がる社会状況を背景に、新鮮で安全な食を入手するのが困難な都市で、市民自らが健康で栄養価の高い食べ物を求め、手に入れるために都市内の様々なオープンスペースを耕すことをはじめました。
都市の食料供給の脆弱性を自覚した人たちは、より身近なところから食を調達するために思考錯誤を始めていたのです。
○これから求められる、都市の食料自給の在り方
地域やそこに暮らす人が食材を手にするためには大きくこの3つの方法があると思います。
①他地域や、他人の食材を購入する
②作物を自ら育てる
③地域の人が、自然界にあるものを自ら採る
今まで、多くの都市住民は①の方法により食料の確保をしてきましたが、これからは①だけでなく、②、③の様な、他力本願ではない方法での食料調達の割合を増やしていくことが必要であると思います。
更に、食材の”輸入”に頼らずに食の多様性と豊かさを私たちが享受し、都市の地産地消を持続的可能なものにしていくためには、自ら土地を耕し、育てることだけでは足りないとも思っています。
○鳥屋野潟の豊かな生態系がもたらす、食の多様性
さて、私たちが暮らす新潟市の街の中にある、鳥屋野潟には確認されているだけで動物600種類以上、植物400種類以上もの生物が存在し、毎冬4000羽以上の白鳥がやってきます。都市にありながら、豊かな生態系を有し、人と自然が共存する稀有な潟です。→(鳥屋野潟の生態系について詳しくはこちら)
私たちは「とやの潟ウィンターキッチン」というイベントを毎年開催し、鳥屋野潟の食材の価値を伝え、地産地消の文化を広めるための活動も続けてきました。
そんな鳥屋野潟やその周囲の地域では、都市農園者が育てる女池菜もさる事ながら、鯉やボラなどの魚類も食されています。都市を耕して作物をつくるだけでなく、魚を採って食べることもできるのです。
○「都市を耕すこと」の次にもとめられるのは、「都市と生態系の共存」である。
都市の中であるにもかかわらず、その様な食材の多様性を生み出せているのは、人間が人間のために土地を耕すだけでなく、多様な食材を生み出す豊かな生態系と共存しているからに他なりません。
食料自給の豊かさを実現していくために、「都市を耕し、自ら作物を自ら育てる」ことの先には、「多様な生態系との共存をいかに都市で実現するか」があるのでは無いかと思います。
○鳥屋野潟の課題-これからの都市には、自然との距離感をはかる感性が求められる-
生態系との共存を実現し、より高めていくためには、人と自然が互いに対等な目線で尊重し合い、つき過ぎず、はなれ過ぎずの距離感を保ちながら暮らしていくことが大切であると思います。「ソーシャルディスタンス」という言葉がにわかに注目を集めている昨今ですが、これからは人と人との距離だけではなく、人と自然や生態系との間の、お互いが心地よい距離感を探っていくことも求められていくのではないでしょうか。距離感という一種の「間」を感じ取る感性がよりいっそう、都市の人々やまちづくりなどにも求められてくるのではないでしょうか。
そういった視点からみたとき鳥屋野潟にはまだまだ課題がある様にも思えます。
次回の記事では、鳥屋野潟と人々との関係を通し、人と自然の距離感をどう探っていくべきか、書いてみたいと思います。
ライター
(株)U・STYLE ディレクター
松浦裕馬