距離? それとも距離「感」?
【最終回】ソーシャルディスタンスツール「ミナモ」の制作ストーリー(4)- 【ミナモの制作ストーリー 連載記事一覧】
- 1.鳥屋野潟の葦で、地域課題に応えるプロダクトをつくりたい
- 2.コロナ禍を機にはじまった、リモートでの制作
- 3.試行錯誤を重ねながら
- 4.距離?それとも距離「感」? ~たどり着いた形~(当記事)
U・STYLEの松浦裕馬がお伝えしている、ソーシャルディスタンスツール「ミナモ」の制作ストーリー。前回記事に引きつづきお伝えします。
□“ミナモ”という名の由来
試行錯誤しながらも実寸での検討を進め、やっとひとつ完成した試作品。
試しに森の中に置いてみました。
木漏れ日の当たり具合や見る角度によって、銀色の葦によってつくられた面の見え方がうつり変わっていきます。
光や視線を通したり通さなかったり、反射したりしなかったりすることで、単なる衝立(ついたて)とは違う、人と人、人と水辺、人と自然の距離感を作りだすことを考えました。
まるで湖の水面のように、ときに透き通ってみえたり、鏡の様に反射したりみえたりする挙動から、このプロダクトを「ミナモ」と名付けることにしました。
試作品が完成し、あとは量産するだけです。泊まりがけもしながら、ひたすら制作を進めました。
潟マルシェの当日までには半分の高さのサイズも含めて15枚を制作することができました。
軽トラックや収納用のラックにもちょうど15枚収まり、運搬や保管の問題もクリアすることができました。
さて、10月の半ばころは、ちょうど彼岸花がとても綺麗に咲く時期です。例年、10月の潟マルシェでは、彼岸花が踏まれてしまう心配がありました。ミナモのデビューの日となった潟マルシェでは、彼岸花をまもるために使われました。
□向き合ってきたテーマ “距離感”
こうしてできあがったソーシャルディスタンスツール「ミナモ」。
実は制作に入る前に、あるテーマを設定していました。
今回ミナモの制作に使用した鳥屋野潟の葦。
この葦は水辺と市街地の間に生えていて、その緩衝帯の様な役割により、人と自然が距離をとって、同じ街の中でも共存することに役立っていると筆者は考えます。
一方で、今はその葦原が放置されていることでそのバランスがうまく取れていない側面があるとも思います。
そして、そんな状況にコロナ禍が加わったことで、自然や人の距離について大きく3つのバランスが大きく揺らいでいるのでは無いかと考えました。
①「自然対自然」の距離とバランス
放置された葦原への外来種の侵食や樹林化による、生態系への影響。
②「人対自然」の距離とバランス
かつては人々の手によって整えられながら、同時に人々の暮らしを支えていた葦原。だが現在、人々はそれに背を向け、葦原は放置されていて、廃棄物の投棄や都市火災の危険が生じている。
③「人対人」の距離とバランス
コロナ禍により従来のあり方が見直されている、人と人どうしの社会的、物理的な距離。
いま、大きく揺らぎつつある、人や葦、潟の相互の距離感とバランス。
鳥屋野潟の葦でつくられたプロダクトが、ただディスタンスを取れるという機能だけでなく、
「自然対自然 / 人対自然 / 人対人」のそれぞれの距離“感”について考えるきっかけを与え、これからの互いの向き合い方に思いを巡らせられる作りにできれば、ディスタンスの在り方について見直されているコロナ禍で、より価値が高まるのではないか。
そんな議論を経て、“距離感”というテーマに向き合いながら制作を進めました。
そして、前述の通りの作業や検討を経て今の形になっていきました。
□最後に
これからも「距離感」というテーマに真摯に向き合いながら、ミナモというソーシャルディスタンスツールをどう活かし次の展開に進めていくか、自問自答しながら取り組みを続けていきたいと考えています。
また、ミナモは10月の潟マルシェでは彼岸花をまもるスクリーンとして使用されました。当初の想定とは違った形の使われ方でしたが、特定の用途に限定せず、使う側の工夫や裁量を受け入れる“寛容さ”も大切にしながら、このプロダクトを育てていきたいとも思っています。
(終)
U・STYLE ディレクター
松浦 裕馬
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- 1.鳥屋野潟の葦で、地域課題に応えるプロダクトをつくりたい
- 2.コロナ禍を機にはじまった、リモートでの制作
- 3.試行錯誤を重ねながら
- 4.距離?それとも距離「感」? ~たどり着いた形~(当記事)